アジアオリンピック(第3回アジア大会東京)金メダリスト松王清志
第三章 大阪合繊延縄株式会社に就職
Part.13 “ローマの休日”が現実となったワイフとの出会い
episode 1
タイのナンバーワンと日本のナンバーワンが試合をする企画が出来て、それに私が行きました。予定では国王の前で試合をするはずでしたが、その時は国王のお姉さんがいらっしゃいました。新聞記者もたくさんいまして、その時は勝ち負けよりも親善ですから、“ジャパニーズサムライ”と言われてとても嬉しかったのを覚えています。海外では試合が終わってよくパーティーをします。タイでは会場によく占い師を呼びます。その会場の夫婦の占い師にみてもらったところ、「貴方は今回の旅の中で結婚相手が見つかる」と予言されました。
episode 2
この時の私の旅は東南アジアからロンドンまで22カ国を旅する旅程です。その途中でタイ、インドからパキスタンを回って、イタリアへ寄ってロンドンまで行くコースでした。40度という暑熱と人恋しさで、すっかりホームシックにかかっていた時にインドのホテルで、ちょうど日本を経って1か月ぐらい過ぎていました。泊まったホテルに日本の新聞デイリースポーツが置いてありました。日本語に飢えていたこともあり隅から隅まで読んでいたところ、その中に1964年度ミスワールド日本代表の原田美弥子さん大坂成蹊女子短期大学19歳が、日本代表として“美の親善特使”としてカイロ、ローマ、パリ―、そして世界大会のイギリスロンドンに行く。大阪からミスワールドが出て、その女性は水泳のオリンピック強化選手とのことでした。ロンドンへ行くコースは私の出張コースと全く同じコースをたどるのです。
episode 3
その頃の私は、男気と言うか「ゴーセンは俺がまわしたる」くらいの強気で世界を飛び回っていますし、世界に怖いものなどありませんでした。だけどいつも危ない橋を渡っていました。飛行機でも何回も危ないことがありました。タクシーに乗ると襲われて金を出せと言われたり、言葉はうまく通じない。そんなところへ女性が一人で私と同じロンドンまでのコースで行くのは大変だということはすぐわかります。そのころ日本は外貨が全然ありませんでしたし、銀行で両替をすると 1ドル360円がなぜか400円以上します。それも500ドル以上持って出られない時代です。私の旅でさえ途中で東レの支店でドルを借りないと前に進めない。そういう時代でしたから、旅の苦労と危険なことなど、いろいろ教えてあげたいと思ったのが発端です。
episode 4
妙な親近感が湧いて私は彼女にホテルから手紙を書きました。・・・・日本女性の素晴らしさを、外国の人々にみせてください。・・・・あなたの優勝の願いが叶いますように。自分が行って危ないのは分かっていましたから「貴方がこれから行こうとする旅は非常に危険な旅になるかもしれません。本当に怖い思いもするかもしれませんよ。だけど“美の親善特使”としてスポーツウーマンが旅にチャレンジするのは物凄く好きです。私は同じコースを先に行きますから、よければローマのホテルに10円玉を送ってください。トレビの泉にバックハンドで投げてあげますから」 高校生の時に観た映画“ローマの休日”を思い出しながら、頑張れよと言う意味で手紙を送りました。当時オードリーヘップバーンとグレゴリーペッグの出演の“ローマの休日”の刺激もありました。また東京オリンピック水泳のフリースタイル候補選手、しかも大阪出身、その上タイのバンコックでの星占いで、この旅行中に恋が生まれる。それは成就すると出ていました。
episode 5
全く知らない君にあなたのこれからの旅の安全とミスワールド入選“美の親善特使”の成功の願いを込めて、ローマにて愛の泉に、バックハンドで十円硬貨を投げてあげます。何故新聞を読んで手紙を出すことが出来たのか不思議に思われる方もおられると思います。今では考えられませんが、当時の新聞には住所まで書いてあることは極普通のことでした。後に聞いたところによりますと、彼女がミスワールド日本代表になったころ、お父さんは娘宛に来た手紙を全部捨てていたそうです。その中で私の手紙が彼女の元へ届いたのも、ある意味で奇跡だったのかもしれません。
episode 6
ローマのホテルに着いたら手紙が届いていました。「実を言うと、ミスワールド日本代表で外国へ行けるのはあまり嬉しくないんです。もしこれが水泳の代表ということでしたら感激なんですけど・・・」私はその手紙を読んでミスワールド日本代表という華やかな名前の下に隠された素顔を覗き見る思いがしたんです。スポーツマン同士の強い共感も覚えました。そして、「同じコースですのでよろしくお願いします」と、M.Hイニシャルの10円コインと写真を受け取ることになりました。私は約束どおりローマへ行きトレビの泉に10円玉を投げた証拠にと、向かいにレストランがあって、その店のオッサンをトレビの噴水の前に連れてきて写真撮ってくれと頼みました。
episode 7
1964年ミスワールド世界大会がロンドンで開催され、日本代表として選ばれ優勝は逃したものの素晴らしい成績で帰国した彼女を、羽田空港まで迎えに行きました。
episode 8
女性セブンにワイフの結婚記事が載っています。「ミスワールドの名を忘れて、すてきなフィアンセを!ミスワールドの名を忘れて、かわいい奥さんになりたいのです」そんな美弥子さんにお母さんは「美弥子がごく普通のサラリーマンにお嫁に行くと言ったらご近所の人がみな不思議そうな顔をするんですよ、当たり前のことなのに。娘はでもまだ二十歳なのでもう少し手元に置いておきたかったですね。ミスワールドに選ばれた時には「あの人がミスワールドのお母さんよ」と囁かれ、買い物にも出られなかったのに、今度はテレビ結婚式だそうです。
episode 9
弟(松王重明さん)が関西大学バドミントン部キャプテンの時に母校の体育館のこけら落としで、関西テレビで「テレビ結婚式」-ここに幸あれ-でめでたくゴールインしました。徳川夢声と有里みちこの仲人により1964年東京オリンピックの年の5月26日に関西テレビのテレビ結婚式-ここに幸あれ-で結ばれました。ゲストには同窓の阪神村山実投手夫妻が来てくれました。
episode 10
テレビで沢山の人に公約したからか、トレビ泉がよかったのか、現在は毎日4,000mのスイミングを目標にしているワイフと、既に嫁いで自立して一家を成しています二人の娘と、二人の孫がいる平和な家族生活を送っています。
episode 11
それから何十年かして妻とローマへ行ってその店のオッサンを尋ねたら、当時を覚えてくれていました。嬉しかったですね。「結婚したで!」って言ったら凄く喜んでくれました。タイの占い師夫婦の予言は当たりました。